カルチャーレビュー
- 2026.07.25
映画「罪の声」は、1984年に起こった「グリコ・森永事件」をモチーフにしたサスペンス小説「罪の声」(塩田武士・作)を映画化したものだ。
<ネタバレなしのあらすじ>
舞台は2018年ごろの京都。ある日、テーラーを営む曽根俊也は、亡き父の遺品の中から、自分が幼い頃に録音された一つのカセットテープを見つける。その声は、日本中を騒然とさせた未解決事件で使われた「子どもの声」とよく似ていた。一方、新聞記者の阿久津英士は、長年封印されてきたその事件の真相を追う取材を始める。
それぞれの人生を歩んできた二人は、やがて同じ謎へと導かれる。そして事件の陰で翻弄された人々の存在にたどり着つく。
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私は「グリコ・森永事件」をリアルタイムで知っている世代だ。この事件の報道に触れるたびに感じる不気味さが嫌だった。怖かった。
ひらがなで綴られた脅迫状も不気味だったが、1番私の恐怖をあおったのは「脅迫テープ」の「声」だった。
事件当時に公開された脅迫テープは、①ハウス食品への脅迫テープ(男児の声)、②森永製菓への脅迫テープ(男児の声)、③江崎グリコへの脅迫テープ(女性の声)の3本だった。当時の捜査では、①②は同じ男の子の声、③は成人女性の声、とみられていた。
3本の中でも、特に耳を突いて離れなかったのは②のテープ。このテープは最後、
「~陸橋の階段の下の空き缶の中」
と唐突に「中」で止まる。
キンキンと通る子供の声。聞きなれないイントネーション(おそらく関西弁)。そして「空き缶の中」で終わるブツ切り感。
空き缶の中への何らか指示があるのだろうが、全てを含めて不気味すぎる。この事件の報道がされなくなり、時効を迎えた後も「空き缶の中」と読んだ(読まされた)男児の声がずっと頭に残り続けていた。
この子たち、今、どこでどうしているのだろう?
その後、2011年に「NHKスペシャル 未解決事件 File01 グリコ・森永事件」が放送された。第2部で、脅迫テープは実際には「男の子2人、女の子1人(おそらく10代)」によるもので、3つとも別の人物の音声であり、全員が子どもの声だったことが判明した。(この調査内容いついては、NHKアーカイブスで視聴可能)。
「気味が悪い」「恐怖」と思っていた事件なのに、「知りたい」が勝ったのでじっくり視聴した。そして「声を使われた子供が3人もいたのか」と衝撃を受けた。
再び思った。
この子どもたち、今はどこにいるのだろう?
今もおそらくどこかで生きているだろう3人。何をしているのだろう? どうやって生きてきたのだろう? 今もあの事件を覚えているだろうか?
たくさんの疑問が沸いたが、もちろんその疑問が解かれることはない。
そして今回映画「罪の声」を見た(配信視聴)。原作が発売になったときに話題だったので「読みたい」と思ったが、忘れていた。そして今回たまたまこの映画に遭遇し、内容を知らずに視聴したのだった。
現実をモチーフにした部分と、作者の創作が巧みに考察している。登場人物のほとんどが作者の作りだした「架空の人物」のはずだ。しかし「作者は実は犯人を知っているのかも?」と思わせるシーンがいくつもあった。そのリアル感がこの映画の醍醐味だ。
と同時に、架空の人物の中に数名「荒唐無稽な設定の人たち」が出てきたことは私的には残念にも思った。「荒唐無稽人物」のおかげで、この作品をフィクションとして楽しめた、という点はある。しかしリアル感をもってぐいぐい引き込まれていた流れに水を差した部分もある。小説版を読むと、その行間が埋まるのかもしれないが、映画を見てしまった今、小説を読んで面白いかどうか。
この映画を見たことで、「グリコ・森永事件」がさらに私にリアルなものとなった。それは映画で「グリコ・森永の脅迫テープの子どもたち」を「動いている人間」として見せられてしまったからだ。
「空き缶の中」と言わされた子どもが、声だけでなく顔付きで迫ってくるようになったからだ。
実際の事件がベースの創作作品の場合、「現実を越えなかった」とか「事件よりも引き込まれた」とか、事実VS創作の比較がある。でもこの作品で、私はその点についてまったく考えなかった。
それどころか、1984年の事件がより鮮明に色付けされ、平面だけ見ていた事実が多角的にもなってしまった。
あの事件に対する不気味な後味の悪さがさらに加算された。風化していたはずの記憶がより鮮やかな4Kで戻ってきた。
にもかかわらず、事件、Nスぺ、映画、最後に残る感想はまったく同じだった。
あの子どもたちは、今どこで何をしているのだろう?