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【聖書を読みながら】お金と神様 by Hanako in London
最近、毎晩、ちょっとずつ旦那のヒト一緒に聖書を読んでいる。
私自身は2011年に洗礼を受けたクリスチャンなので、あまり熱心ではないが継続&断続を繰り返して聖書に親しんで今に至っている。旦那のヒトはクリスチャンではないものの、ずっと一緒に教会に通ってくれている(←感謝です)。何度か一緒に聖書を読もうとしては挫折していたのだが、このところちょっときっかけもあり、いい感じに一緒に聖書を読む習慣が続いている。毎晩寝る前の楽しみとして定着したのでうれしい限りだ。
一人で読む聖書も味わい深くて良いのだけれど、 ズブズブの素人さん(=旦那のヒト、以下「ズブ男さん」)と一緒の読むと、すべての質問はこちらに投げ掛けられる。先に調べたり、読んだり、ググったりの作業があり、その辺も新鮮な感覚で、今現在はその作業も含めて楽しくやっている。「ココんとこ、きっと突っ込んでくるね」とか想像するのものなかなか良いものだなあと。
聖書には旧約聖書と新約聖書がある。かなり「ざっくり」言えば、旧約は世の中の誕生からイエス・キリストが誕生する400年前ぐらいまでのイスラエルの民の歴史、新約はイエス・キリスト誕生以降について書かれている。どちらから読み始めるかズブ男さん と相談し「まずはイエス・キリストってどなたさま?」について知ってみましょうということで、新約を一緒に読んでいる。1日1章か2章。長い章、難しい章のときは1章読み切れないことも。本当にゆっくりゆっくり。でも確実に進んでいる。
さて。聖書を読んでいると「な、なぜ、今、こんな箇所がでてくるの!?」と思うことが結構な頻度で起こる。ただ順番どおりに読んでいる、または適当に開いて読んでいるだけなのに、現在考えていること、悩んでいることと「ドンぴしゃり」の内容が登場することがあるのだ。「こ、怖いよ…」と思うレベルの時もあり、のけぞってしまうこともある。
実はこれは多くのクリスチャンが経験していることで、私も何度も何度も怖いぐらいに言い当てられたり、痛いところを突かれたり、はたまた慰められたりしている。でも何度「ドンぴしゃり」を経験しても慣れることがない。毎回毎回飽きる事なく新鮮に「ひょえ~」と仰天している。
つい先日、こんなことがあった。
私とズブ男さん、最近お金についての話をよくしている。私たちは4年前に今住んでいるフラットを購入した。頑張って返済しているものの、先はなが~いなが~い(涙)。嫌になっちゃうぐらい長い。2人で働いて手にする「限りある財源」をどう有効活用するか? 住宅ローンとか貯金とか保険とか年金とかを見直した方がいいのか? 経済センスがまったくゼロの2人が必死にググったり、詳しい人に相談させてもらったりして、分からないなりに何となくモヤモヤやっている。
考えたり勉強したりすること、そしてお金を大切に使うことは「良いこと」だと思う。でもあまり考えすぎると欲が出たり(っていっても、欲を出したところで何の変化もないのだが)、クサクサしたり、嫌になったりしてしまう。
限りある財源とはいえ2人であくせく働いた大事なお金。何より働けているのだから本当に本当にありがたいのである。「屋根のある家に住めている」というだけでなく、ちっさくても(かなりの部分がまだ銀行の物なんだけど)我が家なのだから。これを感謝と言わずして何と言おうか?
でもそんな「ありがたい」という気持ちをたっかーい棚の上にあげてないことにし、ひたすら「もっとお金貯まらないのかねえ」「金のなる木ってないの?」と2人してまあまあネガティブな気持ちになることもある。
そんなクサクサ話をしたある晩のこと。
話していても、良案が浮かぶわけでもなし。
まあ、夜も更けてきたことだしそろそろ寝ようかねえ。
いつものように、聖書1章読もうか。
私たちはスマホに聖書アプリを入れている。布団に入り、それぞれのスマホでアプリを起動。 さて今日の箇所はマタイの福音書6章(この章は34節に分けられている)。しばし読みすすめる。
そして同じ箇所、24節の手前で2人揃って「ブブ ッ」と笑ってしまった。
聖書にはいろんな訳があり、私は「新共同訳」の聖書で読んでいるのだが、24節にはこんな小見出しがついていた。
「神と富」
なかなか…エグイ小見出し。
さんざんお金の話した後だけに、何というかすごいタイミング…。「富」って言うほど持ってないし将来的にもたぶん持てないけど、 聖書がお金の貯め方を教えてくれるのかしらん?
ズブ男さんも「聖書にも結構泥臭いことが書いてあるんだねえ」とか言い出すし。
まあ、小見出しはさておき、続きを読むとしましょう。
===
「マタイによる福音書 16章24節」
だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
===
読み終えて、2人して笑ってしまった。
いえいえ、「お金に仕える」ってほどは持ってないし、今後も持つことはないでしょう。でもそういうことではなく、さんざん「お金云々」の話をした後偶然こんな箇所がやってくると、偶然にしてはなんだかドンぴしゃりすぎて怖い…となるわけですよ。
「人生そこ(=お金)だけ見据えていたらダメなんだよ」「そういうことじゃないでしょ」「もっと見るべきこと、他にもあるっしょ」「大事なことって、なに?」と言われている気がしてくる。
他人から見たら「別におたくたち、富裕層でもないんだから。この箇所読んでドキリとするなんて、ちょっと的外れてない?」と思うかもしれない。まあ確かにそうなのだが、でも読んでいる本人たちがグサグサ感じるのだから、意味はあるわけで。
この箇所を読んだ後、しばしお金にまつわるボヤキは休止することにした。
たぶん、その方がいい。その方が幸せだ。
聖書を読んでいると、そういう「ズバリ」がよくある。
「聖書から必要な言葉が与えられる」というような言い方をキリスト者は良くするけれど、確かにそうだなあと思う。
次の「ズバリ」は何かな?また楽しみだ。
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