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【podcast104】ウッディ・アレンの性的虐待事件を巡るドキュメンタリー『Allen v. Farrow』を見てみた(ネタバレ有り)
こんにちは。ロンドン在住のフローレンス2世です。
地球の反対側に暮らす ロンドン在住の「フローレンス22世」と東京在住「豊里耳(とよさと みみ)」。 2人がぐるっと電話でつながりアレコレ話す「環・地球おしゃべり」、それがマトカのpodcastです。
昨年から「Me Too」運動が社会的うねりとなっていますが、そんな中、ウッディ・アレンの養女ディランへの性的虐待にまつわるドキュメンタリー作品『Allen v. Farrow』を視聴しました。
なかなか見ごたえある作品だったので、この番組の内容を紹介しつつ、背景も紹介しました。かなりネタバレしているので、聞いて下さる方、下記を読まれる方はご注意くださいませ。
【お詫び】ポッドキャスト内で「裁判は2回」と言っていますが、1回の間違いです。申し訳ございません。
※下記ネタバレ有です。ご注意下さい。
この作品は4回に分けたシリーズです。ご存知にように女優ミア・ファローと映画監督ウッディ・アレンは1980年代から12年に渡りパートナーでした。このドキュメンタリーの中心人物は2人の養女であるディラン・ファロー(1985年生まれ)。作品は、彼女に対する、ウッディの性的虐待についてディラン&ミア側の立場で検証したものです。
4回のシリーズ構成はざっくりと以下の通り:
① ディランの告白と家族関係の概要。ミアの養女スンイとウッディとの関係。(57分)
② ウッディ・アレンの作品や資料から彼の女性像・恋愛傾向を分析(1時間4分)
③ ディランへの性的虐待に対する調査とアレンVSファーローの親権裁判(1時間6分)
④ その後(1時間16分)
ウッディによる性的虐待事件のいきさつ:
ディランは誕生直後にミアの養女となり、その後ウッディとも養子縁組しています。
1992年のある日、父親であるウッディがディラン(当時7歳)を屋根裏部屋に連れていき「自分のプライベートな部分(陰部)を触った」とディランが主張しました。この主張は7歳当時から現在まで変わっていません。
もう1人の中心人物・スンイ:
スンイは、ミアと前夫アンドレ・プレヴィンの養女。ミアとウッディがパートナー関係だったときに、ウッディはまだ10代だったスンイと性的関係になった、と言われています。
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本作品は事件の警察による調査、そしてこの事件が公になったときにウッディが起こした親権裁判(養子であるモーゼス、ディラン、実子であるローナンに対する単独親権を主張)についてかなり深く解説しています。ウッディも映像としては登場し、公正な目で事件を追求しようとした姿勢は分かるものの、当然ながらウッディの視点は入っていません。
本編にはミアが録画した大量のファミリービデオの映像が使われています。事件の発端、医師や警察の動き、そして現在に至るまでたくさんの登場人物が出てきますが、当時のビデオがあることで説得力があり、作品の面白さに繋がっています。
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見ている限り…では、どうかんがえてもウッディ・アレンに分が悪い。ディランとミア側の視点に共感してしまいます。
これではまあ、ウッディ・アレンは面白くないでしょうねえ。途中、ウッディがかなーり力づくでこの問題をもみ消そうとしていた?ことも丁寧に説明されており、ウッディの印象悪すぎです。
別にウッディにもミアにも肩入れする理由はないのですが、7歳から「性的虐待された」と同じ主張をしつづけているディランの立場にはどうしても寄り添いたい気持ちになります。彼女が嘘をつくことで良い事はなにもないからです。
そんな風に、概ねディランの主張に納得しながら見進めたドキュメンタリーなのですが、1点だけ引っかかったことがありました。それは実子と養子を含め、ミアが本当に子だくさんなこと。そしてこれは後で調べて分かったことですが、養子3人がすでに亡くなっています。
↓ミアの14人の子供たちのリスト。「*」印がついている子はウッディの子供(養子縁組または実子)でもあります。
<ミアと2番目の夫・アンドレ・プレヴィンとの子供たち>
マシュー&サーシャ(実子)
1970年生まれ。当時の夫、アンドレ・プレヴィンとミアとの実子であり双子。
ラーク(養子、ベトナムから)
1971年?生まれ。1973年、2歳のときにミア&アンドレの養子となる。2008年に死亡(AIDSにも感染していたが、直接の死因となったかは不明)
フレッチャー(実子)
1974年生まれ。当時の夫、アンドレ・プレヴィンとミアとの実子。
デイジー(養子、ベトナムから)
1974年生まれ。1976年、2歳のときにミア&アンドレの養子となる。
スンイ(養子、韓国から)
1970年生まれ。1978年にミア&アンドレの養子となる。
<アンドレと離婚後、ミアが単独で養子とした子供たち>
モーゼス(養子、韓国から)*
1978年生まれ。1980年、2歳のときにミアの養子に。その後、ウッディ・アレンとも養子縁組。
ディラン(養子、たぶんアメリカから)*
1985年生まれ。誕生後すぐにミアの養子に。その後ウッディ・アレンとも養子縁組。
ローナン(実子)*
1987年生まれ。ミアとウッディの実子…ということになっているが、ミアと最初の夫であるフランク・シナトラとの子供かも?の噂もある。
<ウッディ・アレンと別れた後にミアが養子とした子供たち>
タム(養子、ベトナムから)
1979年生まれ。1992年、13歳のときに養子に(盲目の少女)。2000年に死亡。
イザヤ(養子)
1992年に養子に。
クインシー(養子、アメリカから)
1994年に養子に。
フランキー・ミン(養子、ベトナムから)
1994年に養子に。
ガブリエル(タデアス)(養子、インドから)
1988年生まれ。1994年に養子に。2016年に自殺(享年27歳)
(↑Peopleの記事を起点に調べて肉付けしました)
子だくさんなことは良いのですが、「なぜ、こんなに?」という疑問が沸きました。ドキュメンタリーの中であまり幸せではなかった子ども時代についてミアが自ら語っており、「自分が(たくさんの子を)養子にすることで幸せにしたい」という気持ちは分かります。でもちょっと不自然な気もするのです。
特にそのことを強く感じたのはディランを養子にもらったいきさつが説明されている箇所(1話目)です。
ディランを養子にする前に、ミアはウディと相談の上で2人の実子を妊娠しようと試みたものの叶わなかったそうです。そしてウッディが「金髪の女の子だったら(養子にしても良いかも)」と言い、ミアも「金髪の女の子だったら、子供に興味がないウッディも興味を持つかも」と思い、そして実際に金髪の女の子ディランを養子にしたことがさらりと語られています。
…これってどうなの?
子供はお人形じゃないのに。
作品中、一貫してミアは「献身的な母」として描かれ、作品に出演した多くの子供たち(ディラン、末っ子のローナン、その他の子供たち)もミア側についています。でも、スンイ(ウッディの現妻)とモーゼスは母とのコンタクトを断っています。
ミアが子だくさんであることは作品の本題ではないので長くは語られないのですが、ミアの子供に対する考えももう少し掘り下げてほしかったなと思いました。
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私はこれまで散々ウッディ・アレンの映画を見てきました。大好きでしたし影響もかなり受けています。海外で暮らしたいと思ったとき、選択肢はロンドンとNYでしたが、NYに行きたいと思った理由はウッディ・アレンの映画が好きだったからです。そのぐらい大好きでした。
ですのでこの養女に対する性的虐待や10代の養女との恋愛(現在の妻)云々の事件には本当にガッカリし、特に本作を見てしまった今、当分ウッディ・アレンの映画を見る気にはなれません。
あんなに喜びをくれたウッディ・アレンだったのだけどな。悲しい気持ちですが、それを越えるぐらいこのドキュメンタリーを見て良かったと思います。アメリカにおける性的虐待の実情についても片鱗を見ることが出来る作品です。
いつかミア側のいろいろも知りたいです。
長くなりましたが、このドキュメンタリーの面白さについてかなりの熱量で語っているので聞いて下さるとうれしいです。
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