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【インタビュー】「やりたいことを、見つけにいかなくては」映画配給「kinologue」主宰・森下詩子さん by hanako
写真:© Chisato Hikita
今注目したい人に話を伺う、インタビュー。じっくりお話を伺いました。
きっかけは東北大震災 。
「私がやりたいことを、見つけにいかなくては』と思いました」
kinologue主宰
森下詩子(もりしたうたこ)さん(神奈川県在住)
映画配給やワークショップを開催する「kinologue(キノローグ)」。2011年に森下さんが1人で立ち上げ、1人で運営している団体だ。2014年からは年に1本のペースで海外から買い付けた長編映画作品の配給を行っている。
エコ&ミニマム時代を先取りしたような映画『365日のシンプルライフ』、そしてマリメッコ好きにはたまらない、創業者アルミ・ラティアを描いた『ファブリックの女王』しかり。kinologueが手掛ける作品は「マス(多数派)」というよりも、常にアンテナを張りながらこうした映画を待っている層にまっすぐに届く。そして「ああ、こんなすごいところをついて来る!?」と嬉しい悲鳴をあげたくなる。そんな個性的な作品を発掘し、配給してきた。
私が森下さんと初めて会った2012年、彼女は「旅人」だった。同年6月に安定した会社員の地位を捨て、ヨーロッパに旅に出た。フィンランド、アイルランドを経て、ロンドンにしばらく滞在していた時、日本在住の知人からの紹介で会うことになった。場所はロンドン中心部・ソーホー地区にあるシナモンロールが美味しいカフェ「Nordic Bakery」。濃い目のコーヒーを飲み、森下さんはニコニコしながらパクパクとシナモンロールを食べていた。
フィンランドで体験したことを、とても軽やかな語り口で話してくれた。ワークショップのこと、フィンランドで出会った人たちのこと。2時間ほどのおしゃべりだったが、1番印象に残ったのは「会いたい人には連絡を取って、何としても、絶対会いに行くんです」という言葉だった。
「何としても」「絶対に」「会いに行く」
私は一見活発に見えるようだし(よくそう言われる)おしゃべりなのに、実は臆病で、あまり人に会いに行かない。いつも家に引きこもっていたい私には、まぶしくてキラキラする言葉だった。
帰国後について、森下さんはワークショップを開催すること以外には、具体的に「今後何をするのか」については語っていなかった。でも「きっと映画のことをやっていく人なんだ」と思った。
時が過ぎ、実際にそうなった。たった1人で団体を切り盛りし、映画を配給している。
昨年久しぶりに来英した森下さんと再会することができた。数々の興味深い映画を配給している森下さんの話を聞いて記事にしたいと思ったので、一緒に食事をする前にインタビューの時間をもらった。
そして7年前に聞けなかった「旅人になる前のこと」、そして「旅から帰った後のこと」をたっぷり伺った。
(注:インタビュー直後に私が家庭の事情で緊急帰国してしまったため、記事にする機会を逸し、そのまま1年経ってしまった。よって下記のコメントのほとんどは約1年前にお話を聞いた時のものである。森下さん、すみませんでした。そして時間が経ってしまったのに記事化を許してくださってありがとうございます。)
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■社会人になってから、会社を辞めるまで
Q:社会人になってから、ずっと映画業界で働いてきたのですか?
森下さん(以下Mと表記):そういうわけでもないんです。大学卒業後、新卒で映画配給会社「コムストック」に入社しました。担当した作品は『ドーベルマン』『TAXi』『ラン・ローラ・ラン』等のヨーロッパのインディ系が多かったです。約5年勤務した後に辞めました。ディヴ ッド・リンチ監督の『ストレイト・ストーリー』がこの会社で手掛けた一番好きな作品でした。
コムストック退職後短期間ですがフリーランスで2本ほどフランス映画の宣伝を請け負い、その後映画の宣伝会社に入社しました。この会社ではメジャーなハリウッド系大作の宣伝を請け負っていて、『ラブ・アクチュアリー』『華氏911』等を担当しました。宣伝会社として認められて受託作品を選べるようになった頃、『エターナル・サンシャイン』の宣伝をやれたのは嬉しかったですね。電話インタビューでしたが、オスカー受賞後の脚本家チャーリー・カウフマンの話が聞けたのは良い思い出です。
実は私はあまり1社に長くいないんですよね。大体4~5年目ぐらいで(別の会社に)転職しています。この宣伝会社も4年ぐらいで退職しました。辞めた理由は「私、このままずっとこういうことをしていくのかなぁ」と考えてしまっていた時期があったからです。
当時パブリシストではあるものの、マネージメントとして売り上げを達成しなくてはならない立場になっていました。配給会社といい関係を作れていましたし、仕事はちゃんとやっていたので会社にも評価され、給料もまあまあよかったんです。でもつまらなくなってきて。まだ30そこそこなのにマネージメントばかりやっていると、下の子(部下)が楽しく仕事ができるように、とそればかりに重点を置いて考えるようになってしまった。そのとき「もう1回配給に戻るのもありかな」と思って。そんなとき仕事で知り合った人に、新しく立ち上げる配給会社(「デスペラード」)に誘われて、2006年に転職しました。
デスペラードに転職後、初めてカンヌ映画祭やベルリン映画祭の「フィルム・マーケット(映画を売り買いする場)」に行くようになりました。そして邦画から海外インディ作品までさまざまな作品を担当し、本当に楽しかったのですが、仕事そのものは大変すぎて地獄ではありました(笑)。
ある邦画を担当したとき、あまりに疲れ切ってしまったことがありました。その時「森下さんが好きそうな作品があるから買おうよ!元気出して!」と同僚が言ってくれて。クリスティーナ・リッチ主演の『ペネロピ』だったのですが、この作品は本当に楽しんで宣伝しました。
でも結局、デスペラードはなくなってしまったんです。IT会社が親会社だったんですが、別のIT会社と合併し、配給事業そのものがなくなってしまいました。それが2009年です。どんどん同僚が辞め、私もすぐに辞めるであろうと思われていたのですが、ちょうど映画の仕事に疑問を持っていた時期だったのでそのまま会社に残ってモバイルサイトの広告やプロモーションの仕事をしていました。
デスペラード時代の最後の頃は、映画が当たらなくても「誰も私に何も言わない」状態になっていて。たとえ言われても私が「ちゃんとやっている」というのを言い返せてしまうというのもあったのだと思います。でも映画って、基本的にはヒットして結果が出ないとスッキリしない仕事なんですよ。にもかかわらず、目標に達しなくても誰も私に何も言わない。「この状態ってどうなんだろう」と思っていた頃に、(配給事業が終了し)会社での業務が変わりました。「これでやっと映画から離れられる」と、その時ホッとしたのを覚えています。
業務変更で上司は変わりましたが、待遇は何も変わりませんでした。最初はアルファベッド3文字のIT用語に慣れなかったんですが、私は結構順応性があるというかだんだん慣れてきて楽しくなって。結局その後3年、2012年6月までその会社にいました。
その3年間で(社会人になって)初めて9時~6時の生活ができたので、精神的に余裕が生まれました。会社の近く、青山学院のキャンパスで開かれていたワークショップの講座に2011年4月から通い始め、外に目が開いたように思います。そして講座終了後の10月から「kinologue(キノローグ)」として、kino(ドイツ語で映画)をきっかけに感じたことをdialogue(対話)するワークショップを自分で始めました。
■きっかけは震災と川勝正幸氏の死
ワークショップの講座は3か月間毎週末通うという(つまり休日が全くない)なかなかヘビーなものだったのですが、ワークショップの重要性を感じるようになったのは東日本大震災です。
当時私は東京から神奈川に引っ越していたので帰宅難民にもなったりしましたが、震災の混乱の中で「私は一体何をしているだろう?」と考えるようになりました。また編集者の川勝正幸さんが死去(2012年1月)したことも大きかったです。川勝さんとそんなに親しかったわけではないのですが、突然亡くなられたショックが大きかったです。
彼のツイッターを読んでいましたが、2週連続ドラマの前編の感想を書いていたのに後編について書く前に亡くなってしまって。「人はこんなにあっけなく亡くなってしまうんだ」と。その出来事が震災の時の経験とシンクロし、「私、こんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」「やりたいことは他にあるんじゃないの?」「探しに行かなきゃ」という心理状態になりました。
具体的に何かがあったわけではないし、給料も安定していたんですが2012年の春には会社を辞めることを決め、6月に退職しました。今思うと「よく辞めたな」と(笑)。
辞めた後特に何をしようというのもなかったんですが、「とりあえずフィンランドに行こう」と思いました。フィンランドに初めて行ったのは2006年ですが、2009年からは毎年行っていました。2006年は映画『かもめ食堂』が公開された年でした。デスペラード転職前に1カ月空いていたので、友人に誘われて一週間旅行したんです。その時「いい国だな」と素直に思いました。
初めてフィンランドに行ったときに特に印象的だったのは、ヘルシンキでトラムに乗っているときに見かけたある光景でした。道と道の間に公園ともいえない小さな芝生の広場があって、そこにビキニ姿の女の子が3人、それぞれバスタオルを敷いて、寝転んで雑誌を読んでいたんです。ほんの一瞬見かけただけなんですが、その時に「この国、絶対いい国だ」と確信しました。1つは絶対、治安がいい。そして女の子がすごく独立している、群れてないと感じて。また来たいなと思いました。(配給会社からIT会社に業務変更したことで)2009年からは夏休みがちゃんととれるようになったので、毎年フィンランドに行くようになりました。
■2012年、フィンランドへの旅
(会社を辞めた後の)2012年のフィンランドへの旅では、ヘルシンキ大学のサマースクールに通ったりもしました。友人ができ、だんだんとフィンランドの良い面も悪い面も見えるようになってきました。良い仕事をしているのにあまり頑張らないとか、3時には退社してしまうとか。日本人だと「もったいない」と思ってしまうけど、でもきっと彼らは「家族のことと仕事が両立していればいい」ぐらいがちょうどいいんです。
フィンランドに滞在した後、アイルランドやイギリスにも行き、その後帰国しました。
帰国後、映画のワークショップを様々な場所で開催しましたが、特に『かもめ食堂』のワークショップを何度もやりました。『かもめ食堂』の大ファンなわけではなかったのですが、機会があったんです。
そうしているうちに「フィンランドでも『かもめ食堂』のワークショップやったら?」という話になって。2013年8月に『かもめ食堂』の舞台となった食堂(Kahavila Suomi)で上映ワークショップをしました。映画の中のシーンがスクリーンの外に実際にあるという稀有な経験でした(笑)。東京とヘルシンキで同時に行なってネットでつなげて中継したりと楽しかったです。
Q: ワークショップって具体的にどんなことやるんですか?
M:『かもめ食堂』の場合は、見る前に「なぜ『かもめ食堂』が好きなのか」を紙に書いてもらい、その後鑑賞し、再び思ったことなどを話しあってもらいます。5時間ぐらいのフルコースのワークショップの場合は、劇中のシーンに合わせてシナモンロールを出したり、最後に皆でおにぎりを握ってもらったりしました。
↑2019年最初にkinologueが行った『人生フルーツ』のワークショップの告知より。
一度こんなことがありました。ワークショップが終わり、最後に「ありがとうございました」と参加者を送り出していたら、ある女性が「私、転職することに決めました」って。
何が起こったのかわからないんですが、ワークショップに参加してくださっている間にこの方の中で何かが起こったんだなと。これはワークショップ、つまり自分で話したり人の話を聞いたりして「ダイアログ」したこと、そして映画の力とが合わさって出てくることなんだと思います。私はワークショップを企画して準備をするけれど、やってみないとどうなるか分からないし、想定外の反応があったりする。毎回こういった想定外に出会えることがワークショップの面白さです。
■『365日のシンプルライフ』との出会い
Q:初めての映画配給を手掛けようと思ったのはいつですか?
M:以前から顔を出していた映画の教育教材を作っているフィンランドのNPO「koulukino(コウルキノ)」に2013年8月(フィンランドでの『かもめ食堂』ワークショップ開催のとき)にも会いに行きました。そのとき「ウタコが好きそうな映画があるよ」と言われたんです。それが初めて自分で配給を手掛けたドキュメンタリー映画『365日のシンプルライフ』(ペトリ・ルーッカイネン監督・主演)です。
(この作品を)見たときに、「来たな」と (笑)。
そのとき私は無職だったし、自分で買い付けて配給したこともなかったのですが、「震災の後の今だからこそ、日本で『観たい』と思う人がたくさんいるし、今っぽい作品だ」と確信しました。私自身はドキュメンタリー作品をあまり見ないし、社会にモノ申す的な作品が好きじゃなくて。でもこの作品は社会に対してではなく自分の人生をより良くするためにどうしたらいいのか?という、(監督)その人の話だったんです。(震災を通じて)「自分にとって必要なものはなんだろう?」と考えた人たちなら観たいはずだし、今だったら受け入れられる作品だと。映像もきれいだし、ずっとジャズが流れていて品のいい映画だな、とも思いました。
日本で配給できるのかどうかを確かめるため、この作品のセールス会社に連絡しました。会社はベルリン(ドイツ)だったんですが、監督はヘルシンキにいるので滞在中に会えました。彼に「日本で公開して、僕を日本に呼んでね」と言われて。
日本に戻って本格的に配給するために動きました。パンドラさんと共同で配給することになり、劇場への営業や会社単位でなくてはできない契約関係はお願いし、宣伝等は私が担当する形にしました。
2014年8月の公開前は神経が高ぶって全然眠れなくなりました。なので、もう寝るのをやめて(笑)、公開に向けて全力を尽くしました。いざ公開すると観客動員も含めて予想外にうまくいきました。監督のペトリを6月に日本に招聘して彼との約束も果たせましたし、収益もあげることができました。
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その後、2015年2月にkinologue配給第2弾作品『劇場版 ムーミン谷の彗星 パペット・アニメーション』(マリア・リンドバーグ監督、Child Filmとの共同配給)、2016年5月にファッションブランド「マリメッコ」の創業者アルミ・ラティアを描いたドラマ『ファブリックの女王』(ヨールン・ドンネル監督、パンドラとの共同配給)、2017年12月に『YARN 人生を彩る糸』(ウナ・ローレンツェン監督、ミッドシップとの共同配給)と4年連続で作品を配給するという、快挙を成し遂げた。
現在、東京大学大学院・学際情報学府博士後期課程に在学する「学生」という一面も持つ森下さん。去年は配給をお休みして「映画配給のメディア論」をテーマに修士論文を書き、今後の映画配給の在り方についてアカデミックな側面から研究も行っている。
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Q:大学院で学び始めた理由は?
M:映画配給はこれまであまりアカデミックな観点から分析されてこなかったのは「流通のシステムの1つ」としてしか考えられていないからです。でも私はそれだけじゃないのでは?と思うんです。私自身、対話のワークショップをやったり、観た人の「自分ごと」になるようなタイプの映画を買っているので、いわゆる映画ファンに向けての映画を配給していない、というのもあります。そんな私の存在は、従来の映画配給からは少しはみ出しているかもしれませんが、「なんで私、こうなっちゃったの?(笑)」「私は一体何を目指しているの?」というのを明らかにしたい気持ちが、大学院に行くきっかけとして強くありました。
一部の大作を除いて、映画業界は今、先細りです。アート系作品の収益は、10年前の1/3ぐらいしかない。だとしたら、今後同じことをしてもどんどん先細って行きます。でも映画業界のやり方はあまり変わっていません。もっと変わらないといけないし、今までとは異なる層のお客さんを取っていく必要があります。一緒に仕事をする人も変わっていくはずです。ただ「映画が好き」というだけでなく、もっとコミュニケーションのツールとして使っていく人たちに映画を開いていって、一緒にやっていくやり方があるんじゃないかと。この考えをもっとアカデミックなフィールドに乗せたい、そしてさらに実践的な面も考えていきたいという思いがあり、研究も続けています。2足のわらじは大変ですが、でも何とか頑張ります(笑)。
■9月に公開するフィンランド映画『サウナのあるところ』
2年ぶりの配給となる映画『サウナのあるところ』(ヨーナス・バリヘル監督、アップリンクとの共同配給)の公開(9月14日から全国順次公開)と迫っている今、森下さん準備に忙殺される日々を送っている。
可愛いポスターに心惹かれるが、「内容はもう少し重いんです」とのこと。約550万人の人口に対し約300万個ものサウナがある、サウナの本場・フィンランド。普段は寡黙なフィンランドの 男たちだが、サウナの中では心根を語り、涙する。裸の男たちが語る厳しい日々の営みを、サウナが優しく包む。そんなサウナで語るフィンランドの男たちを描くドキュメンタリー作品だ。
↓森下さんから、この作品についてのコメントをいただきました!
今年はフィンランドと日本の外交関係樹立100周年という記念の年。「日本でもサウナブームが起きている今、公開すべき!」と2010年製作の作品を掘り起こしました(笑)。
14個のエピソードが淡々と紡がれているドキュメンタリーですが、それぞれのエピソードはドラマチックで、深く濃い人生がたくさん詰まっています。
サウナはフィンランドの人々には欠かせない生活文化。日本の銭湯や温泉文化にも通じるものがあるので、サウナが好きな方も、ちょっと苦手という方も、この映画をきっかけにフィンランド人にとってのサウナが一体どんなものか、知って欲しいなと。
彼らが大切にしている “サウナがあるところ” では、いつも人生の支えとなるような「何か」が起こっています。
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■終わりに:森下さんに再会して by hanako
2012年からあっという間に7年たった。「7年」と改めて口にするとそれなりに長い時間かもしれないが、森下さんがこの7年に成し遂げたことを考えたら、驚くほど短い期間だ。たった7年で5本もの映画を配給し、ワークショップを行い、論文も執筆するなんて、神業としか思えない。
私なんぞと比較しては申し訳ないが 、私の7年と森下さんの7年は一体どこが違かったのだろう? 彼女のまぶしい活躍を思うとき、思わず自分のカサカサの手の平をじっと見つめてしまう。彼女は計り知れないほどの努力を積み重ね、その上で確かな結果としての現在があるのだと思う。「映画配給」という言葉の響きは華やかだが、実際の仕事はとてつもなく地味で苦しいものであり、試行錯誤の連続のはずだ。
そして、そんな彼女の言葉は「今、悩んでいる」「これから、頑張りたい」と思う人たちに大きな励ましをくれるものだった。彼女の語り口は「さらさら(早口でサクサク語る)」と爽やかだけれど、でもダメダメな私の日常を奮い立たせてくれることばかりだった。
森下さん、またロンドン来てくださいね。前回一緒に行ったレストランも美味しかったけれど、もっともっとおいしいところも見つけてあります。またご一緒するのが楽しみです。そのときまで、私も私の仕事を頑張ります!
森下詩子(もりしたうたこ)さん:
映画配給会社、宣伝会社に勤務後、2011年にワークショップを行う「kinologue」設立。その後2014年から映画配給も手掛ける。4本の作品を配給した後、9月14日から配給5作目となる『サウナのあるところ』が公開。フィンランド発のアップサイクル・カルチャー・イベント「クリーニング・ディ」を日本に持ってきた人物としても知られる。また大学院生という顔も持つ。
https://www.facebook.com/kinologue/
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