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大人だって救われたいのだ。ETV特集「敏感くんたちの夏」を見て思う事
ドキュメンタリー作品が大好きです。これまでに見て心に残ったドキュメンタリー作品を紹介・記録するアーカイブ。素晴らしすぎて書かずにいられない作品を書き留めます。日本とイギリスの作品が多いですが、国を問わずどん欲に見ています。
ETV特集はほとんどの作品を見ている。特に戦争だったり人権だったりの作品はすぐに見ているが、この『敏感くんたちの夏』はちょっとほっておいた作品だった。
子どもを描いたドキュメンタリーなことはタイトルからも分かる。私は子供もののドキュメンタリーが好きでもあるが苦手でもある。子供時代を「しんどい」「ツライ」とガッツリ思って過ごしていた。当時、わたしなりの言葉で「しんどい・ツライ」と言いもしたけれど、全然大人には伝わっていなかった(そして伝わっていないことも、分かっていた)。
その当時のことを追体験するような番組・作品は、見るのにかなり勇気がいるのでちょっと「寝かして」、気持ちが固まってから見ている。
この番組の初放送は9月5日なので、1カ月ぐらい寝かしてから視聴した。
↑NHKアーカイブで現在も視聴可能。
番組は、とても敏感な子どもたち「HSC(Highly Sensitive Child)」が過ごしたひと夏を追っている。
番組の中で、HSCの定義を以下のように説明している。
①共感力が高い
②深く受け止める
③刺激を受けやすい
④ささいな変化にも気づく
主な登場人物は下記のひとびと。
●北海道に住む中学生1年の元気くん(と、彼の母&祖母)
週に3回だけ登校。将来水中カメラマンになりたい。長沼医師のクリニックに通院。
●京都に住む小学3年の純太くん(と彼の母)
毎日学校に行き渋り、母が送っていっている。
●北海道に住む高校3年の佳奈さん
2年前から長沼医師のクリニックに通院。
●長沼睦雄医師
児童精神科医。北海道でクリニックを開院。
前半は、元気くんの症状を理解できないおばあちゃんと元気くんの様子、そしておばあちゃんが理解するきっかけを得るまでを描いている。後半は長沼医師の主導で行われた「HSCの子どもたちの会」を通し、純太くんが「自分ひとりではない」と理解する様子が描かれている。
自分の気持ちを言葉で伝えることに長けている元気くんと、辛い気持ちがMAXなのにそれをうまく表現できずに抱え込んでいる純太くんでは、同じHSCでも表面上はまったく異なるように見える。その真ん中ぐらいが佳奈さんで、気持ちを言語化できる人なのだが、そこに至るまでの長い過程があったこともきちんと説明できる聡明な人だ。物腰を見る限り高校生には思えないと言うか、HSCだったからこそ、少し早く大人になってしまったのかもしれない。
視聴した上で私が特に仰天したのは、
1) HSCはわたしそのものであること(私は大人なので、HSP=Highly Sensitive Person)
2) こういった気質?に、名称がついていること
この2点だった。
子供のころから、誰かが何気なく言ったであろうひとことをはっきりと「辛い」「傷ついた」と感じることが多かった。あまりに辛いので耐えられないのだが、大人に言っても「そんなこと」で終わってしまう。
それがどのぐらい辛かったのかというと、40年も前の「辛いひとこと」を現在もかなりの数、覚えている…というレベルである。
私はこの傷ついた経験の記憶を、「記憶力が割と良いから、ネチネチ憶えているだけなのだ」と思っていたのだが、番組を見て、
え~~、これって私、そのもの!
私みたいな人(子)がたくさんいる(いた)のか!
と驚き、
そっかー、HSC(HSP)だったからなのか!
と、これまでのいろいろに腑に落ちのだ。
記憶力の問題ではなく、どうも「あまりに辛すぎた経験なので忘れられない」ということらしい。私にはそういう呪われた記憶(←私はそう呼んでいる)がゴマンとあり、その記憶をズルズル引きずり続けて現在も生きている。大人になったからといって呪われた記憶の積み重ねがそこで終わったわけではないのである。
HSCだった私がそのままリッパなHSPとして大人になってしまったので、呪われた記憶を日々増やしながら現在も生きて続けている。全然減らない。増加速度は上がっているかも、とも思ったりする。
子供と大人では環境が異なるので悩みや傷つくもの・ことの種類は変化しているが、「大人になるにつれて、あまり気にならなくなりましたとさ」と全然ならなかった。残念だけど。
誤解してほしくないのは「わたくし、大変繊細な人なのです」と良い意味合いを匂わせてこの話をしたいわけではないのだ。自分がHSC&HSPだと断定した上で俯瞰してみると、「ちょっと感受性が強いのです」という種類のものではなく、普通に生きていく上でかなり不都合な気質である。ものを知覚したり認識する際、大多数の人とは違う神経を使っているのじゃなかろうか?と思うぐらい、もっとメカニズム的な違いのようにさえ感じる。
こういった気質・症状に名前がついていたことについては、良い意味で驚いた。子ども時代を思い出すとき「子どもの人権ってゼロだったなあ」とつくづく思うのだが、もし私の幼少期にHSCの概念がちょっとでも子ども関係界隈にあったなら、私の必死の「助けて!」に気づく人が1人ぐらい現れて、少しは救われたのかもしれない。
…と悲しく思っても過去は変わらないので、それは横に置いておくが、現在と未来を見た場合も割と良い材料がないのも事実。リッパなHSPである私であるが、何か1点だけでも「HSPで良かったなあ♡」と思えることがあれば良いのだが、まったくないのである。
HSPであることも含め「わたし」なのだ、というところを起点に、何か良かったかもしれない点を頑張って探してみる。敢えて言えば、いろんなことを根ほり葉ほり書くのが仕事なので、“HP(Highly Sensitive)”の部分がセンサーとなり、書く上での“引っ掛かり”を割と簡単に見つけやすいというのはあるかもしれない。
でも「HSPだから今のわたしがあるんだよね!」みたいなことでは全然ない。「HSPの自分で良かったです♡」的な自己肯定感は一切ないし、そうじゃない方が全然良かった。でもこれも自分なので受容はしている。自己否定やら自己憐憫をしているわけではないです、念のため。
とは言え、やっとこHSCやHSPの存在が表面にでてきたので、今後世の中が変わっていくといいなあという希望はある。広く認知してもらえれば、それなりの解決策もでてくるのかもしれない。まだ全然見えないけれど。
救われたいのは子供だけじゃない。大人だって救われたいのだ。これから、私が生きている間に何らかの変化があるといいなあ。まだもうちょっと生きる予定なので。
そういう意味で、こういった番組はありがたい。「かわいそうに、ヨシヨシ」的な目線でない点も、とても良かった。
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