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【遠くに暮らす、両親のこと】告知

*【遠くに暮らす、両親のこと(高齢者の環境/医療/介護)】
日本の地方の街に住む80代&70代の両親にやってきた老後。遠い国(イギリス)に住む私に何ができるのか? これから両親のこと、高齢者を取り巻く環境や医療、介護のことについて考えながら書いていきたいと思います。

【読んでくださる皆さまへ】今回の記事には難病患者の方やそのご家族が読んで不快に思われる可能性のある記述があります。記事によってそのような思いをなさることはもちろん筆者の意図するところではありません。しかし正直な思いを書くため、悩んだ末に「不快に思われる可能性があるかもしれない」と思う記述も残しました。この点ご理解くださいましたら幸いです。

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この数日、生きた心地がしない。

今年前半から急速に体力・筋力が衰弱していた父。母はおかしいと感じて大学病院の脳神経外科に繋がったが、「アルツハイマーに老化が加わっただけ」で処理されてしまっていた。

しかしどうもおかしい。進行が速すぎる。診断に納得がいかない。両親は悩んだ挙句ケア・マネージャーさんのアドバイスもあり、病院変えることにした。地元の大病院で再検査をするも、原因が分からないまま2カ月がたった。その間にもどんどん筋力が衰えていった。歩けない、立てない、話しづらい、水が飲めない、食べ物が飲み込めない。

この段階が6月。症状が進行しているのは感じていたが、実際にその様子を見ていなかった私。電話ではことの深刻さに気付けなかったが「水が飲めない」と聞いて、7月に急いで帰国した。帰国中のことについては前回の「手放すこと」で書いた通りだ。

1カ月日本で過ごし、後ろ髪をひかれる思いで7月末にロンドンに戻った。

8月。私がロンドンに戻った後も日を追うごとに、可能な動作が減っていった父。7月はゆっくりならまだ会話ができていたが、8月に入りさらに口の機能が低下した。電話をしても何を言っているのかますます分かりづらくなっていった。

なぜこんなにも衰弱が早い? 老化とはこんなに早いものなのか? どう考えてもおかしい。

そして8月最後の週末、父が翌週月曜から検査入院をすると聞いた。最初は「また検査をやり直して何とか原因を見つけようとしてくれているのかな?」ぐらいに思い、「よかったね、しっかり原因究明してもらって」と母に話した。母も「そうね、再度調べてもらったほうがいいよね」と口調は明るかった。

しかしそんな甘っちょろいことではなかったのだ。医師は「最後の可能性」として、難病を疑い始めたのだった。

耳が遠い母と具合が悪い父。医師が検査入院を伝えた診察で「難病の検査もしなきゃならないかな…」と言ったところまでは聞き取れたようだったが、一体何の病気を疑われているのか聞き取れなかった。単なる再検査だと信じていた。しかし母から検査入院を知らされた数時間後、診察に付き添ってくれたケアマネージャーさんからのメールを読んで震えあがった。

医師が疑っているのは筋萎縮性側索硬化症(ALS)」だったのだ。

メールを読みながら目を疑った。そして次に涙がびっくりするほどドワッと出た。全身から冷や汗も噴き出した。

ALS!?

この病気のことはもちろん知ってる。患者の方が失礼に感じたらごめんなさい。でも正直に書くと、私は以前ALSのドキュメンタリーを見て、眠れなくなるほどの恐怖を感じた。以来この病気は私がもっとも恐れている病気だったのだ。アイスバケット・チャレンジが話題になったときも心のどこかでヒヤッとする恐怖のようなものを感じていた。この病気にもし私がなってしまったとき、私は耐えられるだろうか? きっと耐えられない。だから神様、どうか私をALSにしないでください。そんなことを思いながら、関連団体に少しだけ寄付をした。

その病気を自分の父親が疑われているなんて…!

放心状態の1時間を過ごしたが、その後猛烈に祈り始めた。

「神様、どうかどうか、お父さんをこの病気にしないでください。穏やかに日々を過ごせる病気にしてください。神様は『耐えられない試練を与えない』のですよね? ALSは父には耐えられません。家族にも耐えられません。お願いします、残りの日々を希望をもって生きられる病気にしてください」

長く長く祈った後、「私は同じ祈りを3年前も繰り返ししていたんだった…」と思い出した。3年前、父が糖尿病の合併症による目の手術を繰り返していたあの頃。父が失明の恐怖と闘っていたあの頃と同じだ。あれだけ祈ったけれど左目は失明し、右目も危うい状態が続いている。

あのときも祈りが聞かれなかった。今回は…どうなるのだろう。今回こそ、祈りが聞かれてほしい。

9月10日から検査が始まった。私はロンドンで状況が見えぬ中、仕事と祈り、そして母からの連絡を待つだけの数日間を過ごした。

「神様、私が何をしたら、一体どうしたら、お父さんを助けてくれますか?」

検査が進むにつれ母も父が何やら厄介な病気を疑われていることに気づき始めたが、母は入院中の父の世話で手一杯だったので病気についてあれこれ詮索する余裕がないようだった。兄と義姉、私と夫の4人は情報を共有していた。

 

9月14日に検査がすべて終了した。医師は「説明は火曜日に」と言ったそうだが、電話口の母は「病気の手引書を看護師さんからもらったのだけど、そこに病名が『運動ニューロン疾患』と書いてあった」と言う。

ALSは運動ニューロン疾患の1つだ。父は上半身下半身共に動けなくなっている。この症状から考え、ALSだ。

今回も祈りは聞かれなかったのだ。

深い深い絶望が襲った。これから…どうする?
お父さんはこれからどういう経過をたどる?

18日火曜日に行われた医師の説明には、母と父、そして東京に住む兄も帰省して立ち会った。

ALSの診断は難しい。まだ確定診断ではないものの、まあALSで間違いないだろう。そういう説明だったそうだ。

その日から悲しみと憤りの中、リサーチと家族会議の日々が始まった。母が病院から戻ってくる時間はロンドンの午後1時以降。そこからの時間は家族会議にあて、仕事は午前中と夜。残りの時間は介護・医療にまつわるリサーチ。

あんなに祈ったのに、なぜ聞かれない?
他にもたくさん病気はあるのに、なぜお父さんがこの病気に?
穏やかに晩年を過ごし、100歳でもなお元気な人もいるのに。

何をしていて、怒りが渦を巻く。神の本当に意図は分からない。生も死も病も神の領域だ。人間には何もできないことはわかっているが、今回のことで、私は信仰に迷いが生じた。

なぜ? なぜ? なぜ? ひどすぎる!

神だけではない。日本政府や行政にも怒りがわいた。父の病気を通じて分かったのだが、こうした病気の老人に対し、政府は本当に冷たい。入院している人は「医療保険」の配下になる。すると「介護保険」は適用外となる。つまり外出外泊用にキープしている介護用ベッド、椅子等の介護器具はすべて10割負担の自費になる。数千円から1万円以上のレンタル器具を蓄積すると、何万円ものお金になってしまう。医療費は高齢者なので1割だが、そもそも高額な保険負担が年金からがっぽり引かれているし入院コストは病院に払う費用だけでない。毎日通う母の交通費だってかかる。田舎の病院だから、帰宅の時間にはバスが運行していない。毎日タクシー代が1600円かかるがそれしか帰宅する方法がないのだ。月にタクシー代だけで5万円。そういうものがすべて積み重なると、普通の老人の年金額はゆうに超えてしまう。介護施設に入ったらさらに掛かるが、そもそも田舎ではALSの患者が入居できる介護施設は限られている。オプションがない。

海外にいい顔をしてもらうためにお金だけをばらまく政府。でも北海道地震には5億円しか出さない政府。アメリカからホイホイ軍艦を買う政府。日本で困っている人たちがわんさかいるのに、イージス艦なんて買ってる場合かよ!?

心の中で怒りが渦巻く。

この1週間、私はこんな風にただひたすら憤り続けているのだが…驚いたことに、父はそういった憤りを感じていない様子なのだ。

このブログには書いていないのだが、実は先月、両親は洗礼を受けてクリスチャンになった。その日は(特に私にとって)喜びにあふれた日となったのだが、2週間後に今度は恐怖の宣告をされたのだ。もっと神に向かって悪態ついたらいいのに、と思う。

父はほとんど食事ができないというのに、食事の時間の度に母にお祈りを促し、2人で一緒に祈っているという。

息ができずのどが詰まり、吸引をすることが多くなった父。年中苦しそうにしている父。苦しい吸引に耐えている父。毎日その姿を見ているのがつらいと母が言う。

父が病気をどのぐらい理解し、どう受け止めているのか、まだ会っていないので分からない。しかし私とは違う心持なことは分かる。ただ静かに受け止めているのだろうか? それとも何か父を強く支える希望の光があるのだろうか? 父かがやっとの思いで打ってくるメールからはそこまでのことは分からないのだが。

===

今回ALSの疑いがかかっていると知ったときから、この病気と病気を取り巻く環境についてかなりリサーチをし、現在も調べている。患者さん本人、またはご家族のブログをたくさん読んだ。多いに参考になり、たくさんの情報をもらえた。病状から経過、そして本人と家族の気持ちを知るために必要な情報ばかりだった。

私もこれからの日々のことを、もう少し短い日記のような形でも記録していこうと思う。私が父の症状の変化や本人と家族の気持ちを書いたものが、(私が助けられたように)同じ病気に患う人とその家族にほんの少しでも役に立つかもしれないと思ったからだ。

私はまだ憤りと絶望から立ちなおっていない。口では「家族みんなで戦おう」なんて言っているけれど、まだショックのただ中にいる。そんな気持ちも含め、書いていこうと思う。

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