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【ドキュメンタリーを書き留める】完全無欠の自己完結人生― 映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』
ドキュメンタリー作品が大好きです。これまでに見て心に残ったドキュメンタリー作品を紹介・記録するアーカイブ。素晴らしすぎて書かずにいられない作品を書き留めます。日本とイギリスの作品が多いですが、国を問わずどん欲に見ています。苦めのコーヒーに合う作品ばかりです。
この作品のことは、愛読しているイギリスの新聞・オブザーバー紙(ガーディアン紙の日曜版)で知った。
↑オブザーバー紙は本紙以外にも「The Obserber magazine」「The new review」そして月に1回は食に焦点を当てた「Food Monthly」がついてくる。読み応えがありすぎ。デザインも写真も秀逸で、毎回読むたびにうなってしまう。値段は3.20ポンド。
毎回著名人の「おすすめ」が掛かれているページがあり、2020年5月17日号に女優のサーシャ=モニカ・ジャクソン(私はこの人を知らなかったが)のおすすめとしてこのドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が紹介されていたのだ。
そこに掲載されていた、たった1枚の小さな写真に引きつけられた。強い意思を感じさせる女性の佇まいにただならぬものを感じ、そして即座に「この作品見たい!」と思ったのだ。
↑この写真です。
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物語は2007年、ひとりの青年ジョン・マル―フがオークションで大量のネガフィルムを手に入れたところから始まる。現像してみると、何だかとても素晴らしい。しかし撮影者である“ヴィヴィアン・マイヤー”の名前を検索しても、何1つ出てこない。
こんなに素晴らしい写真を撮ったフォトグラファーは誰なのか?
彼は現像した写真を自身のブログで公開しはじめた。すると世界中から大きな反響が寄せられた。
2年のときがすぎ、ジョンがもう1度 “ヴィヴィアン・マイヤー” の名前を検索すると、たった1件、彼女の死亡記事がヒットした。ジョンは数日前に “ヴィヴィアン・マイヤー” が亡くなったことを知る。
彼女は40年以上、シカゴ周辺で乳母や家政婦をしていた女性だった。生涯独身。家族はおらず、83歳でひっそり亡くなったという。
乳母!?
フォトグラファーではなくて、“乳母”?
このドキュメンタリーは無名の乳母が残した“秘密の”作品と、彼女の歩んだ数奇な人生をたどっている。
↑セルフポートレートもたくさん撮影したヴィヴィアン。これってどこかのトイレですよね…。
生まれも育ちも、国籍さえも誰にも語らず、15万枚もの写真を撮り続けたヴィヴィアン。 彼女の人生はミステリアスであり、ひも解く作業はなんだかスパイ映画のような“ぞわぞわ”感がある。
彼女は何も語らなかったが、フィルムは彼女の内面を饒舌に語る。瞬間を逃さない絶妙の瞬発力、構図の面白さ、そして力強い表情。魅力にあふれている。
彼女は白黒&カラー写真に加え、映像や録音テープも残している。未現像のフィルムもたくさんあったそうだ。
作品が素晴らしいだけに、ヴィヴィアンについてのたくさんのなぜ?が頭をよぎる。
なぜこんなにたくさんの写真を撮った?
何が彼女を突き動かしていた?
なぜ作品を発表しなかった?
ドキュメンタリーを見ていると、彼女は自分の写真のクオリティーを理解していた節がある。しかし個展を開きたいとか、写真を発表したいとか、そういう野望は見受けられない。
彼女は一般的には孤独な人生を歩んだ人、というくくりに入るのだろう。しかし私はヴィヴィアンの人生を見て「ものすごく幸せな人だったのでは?」と思った。
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個人差はもちろんあるが、誰しもが何らかの創造力を持っている。しかしその用途とそこから得られる満足感のあり方はは人それぞれ異なるものだ。
私の周りには「超ド級の創造力を持って生まれてきたが、その才能の産物を人に見せたいという欲求がない」 (と私が思っている) 人が数名いる。
筆頭にあげられるのは、私の2人の叔母(母の妹たち)だ。びっくりするぐらい素晴らしいものを作る。独特のセンスがあり、それは唯一無二の才能だと見れば分かる。しかし「誰かに作品を見せたい」という欲求が、呆れるぐらいゼロなのだ。
当然それで身を立てたいなんて、昔からからっきし思っていないという。
彼女たちの才能を知るのは、ごく身近な親戚だけ。2人はそれぞれの才能を自宅で爆発させて作品を作り、ときどき私や母にくれるのだが、それは私や母がほしそうにしているからであって、彼女たちは特に「見せたい」とは思っていない。
彼女たちは「作る過程」が楽しいのであって、そこから先はなくていいのだ。“自分で”作れたら幸せ、上手にできたら“自分が”嬉しい。そこから先の発露は無用。自己完結できる人たちなのだ。
これって、何と幸せな事だろう…!
自己完結できない私は、彼女たちの特性を狂おしいほど羨んでいる。
私には自己完結では済まない、もう1歩先までの欲がある。ここで書いていることも含め、自分が書いたものを「少しだけパブリックなところまで持っていきたい」という欲がある。そのことが時として私を苦しめるので、自己完結できる人が羨ましいのだ。
でも「少しだけパブリック」から先は割と(自分で言うのもなんだが)タンパクだ。たとえば雑誌の記事を書いたとして、編集さんに送ったところでもう「完結」してしまう。そこから修正・校正が入るが、私はどんなに修正が入っても全然気にならないのである。
自分が書ききって、世に出ることが分かった段階でもう満足。私が書いた原形の1部が世に出れば、それがどうみられるか?は気にならないので全く追わない。それで私は「完結」できる。
しかし同じ書き物業の人でも「てにをは」1つの修正でも、細かくチェックすると言う人もいる。自分が作り出したものの完結法は人それぞれだと常日頃から思っている。
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ヴィヴィアン・マイヤーは完全無欠の自己完結の人だったのだとこのドキュメンタリーを見て思った。
つまり彼女は15万枚分の「撮影する」という幸福と共に生きた人なのだ。
未現像のフィルムが大量に見つかったことからも、そのことが裏付けられる。「良い作品ができた満足」よりも、「撮影する」という行為が彼女の幸せであり、創造の完結点だったように思うのだ。
だから人の評価なんて、一切必要なかったのだろう。
死後だったけれど、彼女の作品は日の目を見た。 このドキュメンタリーはアカデミー賞候補にまでなり、世界中で公開された。そして彼女の作品も、世界を回っている。
そのことをヴィヴィアンがどう思っているか? 皆あれこれ想像するが、私には「そんなの、知ったこっちゃない」というヴィヴィアンの声が聞こえる。
だって彼女は15万回もの幸せを経験し、しっかり自己完結して死んでいったのだから。
きっと他には何もいらなかったはずだ。
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