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【ランチ小説1】オレの世界が変わった日 by Hanako
*ランチを食べながら読んでいただけたら嬉しい…そんな小さな物語です。
今日の主人公:マモル(32歳、書店員)
オレの生活は昨年11月に劇的に変わった。なぜなら、3カ月前に布団乾燥機を買ったからだ。
きっかけは、帰宅中の電車で聞いた何気ない会話だった。
たぶん夫婦と思われるまん丸顔の2人組が、スマホで家電量販店の布団乾燥機のページを見ながら何やら話してる。聞きたいわけではないのに何となく聞こえてきたのだが、耳についたのは2人の会話に何度もでてくる「フカフカ」「ふわふわ」という言葉。
夫が言う「寒いのが嫌だからさ、フカフカの布団…(がなんちゃらかんちゃら…)」
妻が言う「ベランダないから諦めてたけど、ふわふわの布団…(がなんちゃらかんちゃら…)」
もしかしてきょうだいなのかも?と思うぐらいそっくりな「フクフク顔」の2人。しばらく布団について語っていたが、会話の最後は必ず「買って良かった」で帰結する。しかもほっこりした表情で。
その日は11月とは思えない寒い日で、おまけに雨も降っていた。担当する売り場で棚の配置換えがあったので力仕事が多かった上に、面倒な客に絡まれたりと「何となく気分の悪い日」だった。加え帰りの電車で座れなかった。吊革にだらりとつかまり座っている人を恨めしそうに眺めながら、これから帰る冷え切った部屋のことを考えていた。
オレの城(=部屋)はマンションの角部屋だから、壁が氷みたいに冷たくて、夏だってひんやりしている。腹も減ったし、寒いし疲れた。そんなことをぼんやり考えていたとき、目の前に座っていた2人から「フカフカ」「ふわふわ」という音が聞こえてきたのだ。
そうか、布団乾燥機って布団乾かすだけじゃなくて温めることもできるのか。
ああ、オレも「フカフカ」「ふわふわ」に癒されたい。
今すぐ「フカフカ」「ふわふわ」に潜り込みたい。
「フカフカ」「ふわふわ」…
その晩、家に帰ってすぐにパソコンを開いた。ド派手な広告が並ぶネットショップ界隈をしばらくウロウロ。そして布団乾燥機の「購入」ボタンを「ポチッ」と押した。
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これまで布団乾燥機を持ってる人はオレの周りにはいなかった(もしかしたら会社の同僚には持っている人もいるのかもしれないが、会社で布団乾燥機の話をしたことなんてなかったし)。だから今までただ当たり前のように「布団乾燥機のない世界」に生きてきたのだ。しかし使ってみて驚いた。小さな機械1つで、布団がこんなにもパリッとふっくら、フカフカするなんて。電車の中の「フクフク」夫婦は「パリッと」のことは教えてくれなかったが、パリッとする上に「フカフカ」「ふわふわ」が共存するってどういうことだ? 堅くてパリンと割れたせんべいが、食べたら「フカフカ」「ふわふわ」な肉まんだったっていうぐらいありえない。でも布団だったらありえるなんて、32年も生きてきて初めて知った。今やオレの布団は、パリッとふっくら、フカフカなんだ。そして当たり前だが「あったかい」。
オレは明らかに、今までとは違う世界の扉をあけたのだ。
===
季節か変わり、冬になった。クリスマスに正月、財布のひもが緩む季節は書店がもっとも忙しい季節だ。店内ディスプレーの変更もあるし、残業する日も多くなる。店を出ると、鼻がもぎれそうなほど寒いけれど、そんな夜、オレの城(マンションの部屋)はまさに「氷の城」だ。「レリゴー」って歌っちゃうぐらい冷え冷えだ。
以前だったら「家に帰っても寒いんだ」とげんなりするところだが、オレはもう昔のオレではないのである。なんてったって、今オレは「布団乾燥機のある世界」に生きているのだから。
疲れた日も、嫌なことがあった日も、家に帰ればオレにはパリッとふっくら、フカフカあったかな布団が待っている。そう思うと、帰る足取りだって早いのだ。
家に着いたらまず風呂に湯をためる。ヒーターもつけるが、部屋は寒いを通りこして冷たいのだからたいして温まりはしない。小さなマンションのユニットバスだから、風呂はあっという間にいっぱいだ。何はともあれ、風呂につかろう。そして汗かくぐらい、じっくりつかる。
風呂から出るとオレの身体はいい感じにホカホカだ。冷蔵庫からキーンと冷たい缶ビールを出して、まずは一口。そして帰り道のスーパーで奮発して買った大き目シュウマイをレンジでチン! 真っ黄色い辛子をたっぷりつけてアツアツをほお張りながら、2口目のビールをキューっと流し込む。
ああ、旨い。体が緩む、
このひと時のために、オレは生きてるヨ。
な~んてことを言っていたんだな、以前のオレは。つい数カ月前のことだけど、もっと大きなシアワセを知らなかったなんて、オレは小さな男だったんだのお。
何とはなしに見ていた『ニュース23』が終わりに近づく。ほんのりいい感じに酔いがまわり、風呂上がりの蒸気も冷えてきたのを確認した頃が、オレの今夜のクライマックス。布団乾燥機のホースを布団に差し込み、将棋の一手を指すみたいな仰々しさでスイッチを入れるのだ。「ふおぉぉぉぉぉん」という作動音は幸せの響き。この「ふおぉぉぉぉぉん」の先に甘美な世界が待っているのだから。
所要時間は約20分。部屋のヒーターを切り、洗面所に行って割と丁寧に歯を磨く。戻ると部屋はすでに激寒だが、寒くていいのだ。寒いからいいのだ。フローリングの床なんて靴下を履いていたってひんやりするほど冷たいが、冷たいぐらいでちょうどいいのだ。この後オレ様には至福の時が待っているから。
20分後、布団乾燥機の電源を切りホースを出して準備完了。パジャマの上に着ていたフリースを脱ぎ「ヒヤッと」した空気を肌で感じたところで、すかさず布団に滑り込む。
毎日仕事は大変だ。オレの上司はまあまあゲスなヤツだから、人間関係だって本当に辛い。お客に絡まれ、泣きたくなることもしばしばだ。残業したくない夜もあるし、忙しさでテンパる日と「オレは一体何のために頑張っているのだろう?」と、今の自分を全力で否定したくなることだってある。
でも今のオレは違うんだ。どんなに辛くても、どんなに疲れていても、一日の終わりに必ず「パリッとふっくら、フカフカ」が待っているのだから。約束されたシアワセが、毎日オレを待っててくれる。
そう思うと、なんだか無敵だ。
ふっくらホカホカに包まれてまどろみながら、この至福を教えてくれた「フクフク」夫婦のことを思い出す。ありがとう、フクフクさん。そしてきっと2人も、今この時、同じ「パリッとふっくら、フカフカ、あったか」を感じているのかもしれないね。
オレの世界は変わったのだ。
もう前の世界には戻れない。
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