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20196/7

【遠くに暮らす、両親のこと】安楽死について考える

*【遠くに暮らす、両親のこと(高齢者の環境/医療/介護)】
日本の地方の街に住む両親にやってきた老後。 昨年難病の父を見送り、高齢の母はひとりぐらしになった。 遠い国(イギリス)に住む私に何ができるのか? 高齢者を取り巻く環境や医療、介護のことについて考えながら書いていきたいと思います。
※【読んでくださる皆さまへ】今回の記事には難病患者の方やそのご家族が読んで不快に思われる可能性のある記述があります。記事によってそのような思いをなさることはもちろん筆者の意図するところではありません。しかし正直な思いを書くため、悩んだ末に「不快に思われる可能性があるかもしれない」と思う記述も残しました。この点ご理解くださいましたら幸いです。

「遠くに暮らす…」のカテゴリーを書くのは約7カ月ぶりだ。あっと言う間だけれど長かった7カ月。最後に更新したのは11月5日だが、その4日後、父は天国に旅立った。

苦しい苦しい入院生活だったけれど、最後は苦しまなかった。医師、看護師、看護助手、理学療法士、薬剤師、病棟担当の相談員、全員に本当に良くしていただいた。皆に看取られ、体を丁寧に拭いてくださり、つやつやの顔で父はやっと自宅に戻ってきた。

まだ父の死から送ったときのことについては、長く書けない。悲しすぎて、先に書き進めることができない。

もう7カ月。でもまだ7カ月。

きっと母も兄も同じ気持ちだと思うけれど、悲しみは新鮮な悲しみとして毎日襲い掛かる。朝起きると「もうお父さんはいないんだな」と改めて思い、こんなに悲しいものなのか?としつこく驚く。悲しみはまったく薄まらない。

この20年近くは海外にいるわけだしその前も一人で暮らしだったので、ずっと実家にべったりいたわけではない。 私は子供の時から割と独立心が強かったし、 別に「お父さんっ子」だったわけでもない。それでもこれだけ悲しいんだなあと、毎日驚いてしまう。

遠く離れていても「いるはずの人が、いない」「もうこの世に存在しない」という現実になかなか慣れない。

そんな日々を家族全員が各々別のところで感じる日々を送っている。2年前にガンの手術をし、その他にも持病のある母とはほぼ毎日Lineでやりとりして安否確認をしている。

週末には直接話すけれど、平日は時差もあるし仕事もあるので、ちょこちょこチャットをしている。お互い適当な時間に書きたいことを書き、自分のペースで返信しているのでストレスがないのがいい。母もタブレット使いが随分上達した。

母、スタンプの使い方が上達しました。

母との「毎日チャット」はたわいもない話が多いのだが、昨日は違った。母がドキリとすることを書いてきたからだ。

日曜日に、安楽死を取り上げたNHKスペシャルを見たの。私もいよいよになったら、スイスに行って安楽死したい

ぎょっとした。

安楽死?

「何言ってんの!?」「どうかしたの?」「今、そんなに具合悪いの?」―― 驚いてチャットではなく通話をしようとしたら、すぐに次のチャットが来た。

でも(テレビによると)安楽死サポート団体の医師と直接意思疎通ができることが条件だから、英語ができないとダメなんだって。だからダメか~。20秒ぐらいで穏やかに逝くことができるそうだけど

そして最後にこう書いてきた。

お父さんみたいなの、つらいから

何と言っていいか分からなかった。

↓こちらがその番組だ。

私も興味があるテーマなので、視聴してみた。

衝撃的であり、そして重く心に残る番組だった。見終わった後、何時間も考え続けてしまった。

安楽死については何年も前から興味があり、調べたり、ドキュメンタリー番組を見てきた。昨年9月、TBSラジオ「荻上チキのSession22」の特集コーナーで、欧州の安楽死を取材したジャーナリスト・宮下洋一氏が出演した回も聞いた。

今回のNHKの番組がこれまで私が見聞きしたものと違っていたのは、(海外ドキュメンタリーとは異なり)取材対象が「日本人」であったことだ。安楽死を選択した日本人とその家族を顔を映した状態で紹介し、最後の瞬間まで密着していた。

詳しい番組内容は割愛するが(NHKオンデマンドで視聴可能です)、 母だけでなく私も、今まで見えなかった「日本人の安楽死」の現場を見たことで、これまで以上にリアルな感覚として迫ってきたのだ。

日本では積極的な延命治療を行わない「消極的安楽死」は導入されているが、自ら選択して死に至る「積極的安楽死」は行われていない。

父も自らの意思で延命治療を行わないことを決めたので「消極的安楽死(尊厳死)」だった。ALSだったが人工呼吸器もつけず胃瘻もしなかったので、入院後2カ月で死去したが、吸引の壮絶さは見ている者の気持ちを暗くさせた。

苦しそうで、可哀想で、見ていられない。あんなに苦しそうなのに、何もできない。ただただ無力だった。苦しがる父の手足を握り、終わった後に冷たく濡らしたタオルで顔を拭くことしかできなった。

私も肺ガンの手術をしたし、気管支炎もあるからいつか吸引することになると思う。お父さん、苦しそうだった。可哀想だった。私は耐えられないかもしれない

母はこれまでにも何度もそう言っていたが、今回安楽死のドキュメンタリーを見て、改めてまたそのことを考え、「安楽死という選択肢があること」について考えたのだ。

私も母も(父も)クリスチャンだ。クリスチャンには「自死」という選択肢は本来はないのだが、安楽死については(条件はあるものの)「神様は許してくれるのではないか?」と(今は)思っている。

今回の番組で紹介したスイスの団体の場合は、治癒の見込みがなく、苦痛と共にある患者に限り安楽死のほう助をしているが、国によってはアルコール依存症やうつ病といった精神疾患の患者の安楽死を助ける団体も存在している。

昨年3月「ガーディアン」紙に掲載された、うつ病に苦しんだ29歳女性の安楽死(オランダ)を報じる記事。

命にまつわる倫理はあまりにも難しく、置かれている状況が皆違う。慎重論は当然だが、この番組をみた直後のまっさらな感想は「安楽死できること=希望の1つ」なのだ…というものだった。

母もそう考えたのだと思う。

特に、スイスの安楽死ほう助団体の医師が言ったひとこと

「もし彼女がスイスに住んでいて、(安楽死を施されるために)長距離移動をしなくて済むのなら、こんなに早く死を選ばなくて良かったはずです」

は衝撃だった。

安楽死が選択肢にある国に住んでいれば、ギリギリまで考える時間を与えられ、そして(たとえ安楽死を選択する場合でも)そのときを最後まで遅らせることも可能だということに、番組を見て気づいたからだ。

以前橋田寿賀子さんが「認知症になったり、身体が動かなくなったりしたら、安楽死したい」発言し、話題となった。そして下記は「その後」のインタビューだ。

共感する部分が多かった。とくに下記の部分。正直なコメントをスパっと潔く言ってくれている。

「本当は、あきらめてはいませんけど。安楽死について発言すると、うるさく言われることが多いんですよ。「安楽死なんてとんでもない。もっとちゃんと生きる希望を持ちなさい。一生懸命生きなさい」と叱られたり、「他の人にまで死を強制することになりかねない」と言われたり。」(朝日新聞デジタル版より

命は私が生み出したのではなく、神に与えられたものだという考えは変わらない。その命を生き切りたい、生き抜きたいと思っている。でもその「生き切り方」は、自由意志を与えた形で神は人間にゆだねている。

悩み、考えた上で選択する安楽死を「生き切ること」の選択肢の1つと考えても良いのではないか?

そんな風に考え、ここまで書いたところでこちらのラジオ番組を聞いた。

↑ラジコでの配信は終了していますが、TBSラジオクラウドから聞けます。
https://www.tbsradio.jp/377336

上記した 宮下洋一氏がゲスト出演した6月6日放送の「Session-22」だ。氏はNスぺで取材した同じ方について取材し、新刊『安楽死を遂げた日本人』を執筆した。

この番組の最後の部分を聞き、短絡的に「希望」と考えることの危険性に気づかされた。

もし議論が深まらない状態で安楽死が日本で合法化した場合、「迷惑を掛けたくない」「(家族や看護者に)悪い」という思いや経済的な理由等で、安楽死を希望しない人でも選択してしまうかもしれない…というところまで、Nスぺを見ただけでは私は気づけなかった。

ではなぜスイスでは国民に受け入れられているのか? それは私自身が欧州に住んでいるので理解できる部分もある。もちろん全員ではないのだが、毎日の暮らしの中で、同調圧力に負けない「個」を主張できる人たちと接しているからだ。

究極の選択を迫られたとき、自分の意思を押し通そうとする強さのようなものは欧州人の方が強い気がする。

社会の風潮がどうであれ、自分の死をほんのわずかでも周りから強要されてはいけないはずだ。しかし現在行われている「消極的安楽死(尊厳死)」でも、同じ問題はあるのだと思うし、聞いたことがある。

尊厳死を選んだ父のことが頭をよぎる。人工呼吸器も胃瘻も経鼻経管栄養も「やらない」と決めた父。医師の度重なる意思確認、家族の説得にも「やらない」と気持ちを変えなかった。しかし私たちに「悪いから」という思いがほんの少しでもなかったかどうかは、今となっては分からない。

===

個人的にも重いテーマを投げ掛けらた番組(テレビもラジオも)だった。これからもっとこのことについて調べてみたいと改めて思ったが、このNスぺ放送によって、安楽死を選択するために海外の団体に登録する日本人はきっと激増すると思う。

それに伴う社会の動きや反応は今はまだ分からない。しかし動きが議論の発端になり、そして議論が深まることに繋がってほしいと思う。

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